波照間島への旅行 1回目 (2003.3.30-4.3  4泊5日)


 

 

 

家 06:00出発 ー 関空 07:10到着

                  関空 08:10 出発 ー 石垣島 11:00到着

         石垣港 15:00出発 ー 波照間港 16:00到着

 

日曜の石垣島は静かで人もあまりいなかった。

石垣からは安栄観光のジェット船 1人往復5,700円。

屋根があるだけの、船の最後尾に座って、油臭さと大きなエンジン音と。

いろんな島を左右に見ながら進み、外海に出ると海の色が濃くなった。

 

波照間に着いて、宿に荷物を置き、宿のレンタサイクルで西浜に行く。カメラの三脚を忘れたので斜めになった写真に、耕介はアイルランド、私はハワイで買ったTシャツを着ている。

後に耕介は、沖縄・アイルランド・ハワイの音楽の共通項を3つ挙げた。

『島』

『ゆえの独自の文化の中で生まれた』

『生活の中に音楽が浸透している』=普通の人が、普段の生活の中で、いつでも、どこででも音楽を楽しんいる。

耕介は「結局ワシは、そのような社会の中で生きている人と音楽がまるごと好き。そこに生まれた人が羨ましい」と言っていた。

 

 

 

その日は泳ぐわけでもなく、浜でサンゴを拾ったり、流木を砂浜に立てたりして、のんびりと過ごした。

帰り道、ユイマール(なんでも屋)で、うっちん茶やさんぴん茶を買ってゴクゴク飲む。名前が昭和のあだ名みたいだねと話す。

 

その夜、民宿の裏口が騒がしくなり、何かと思っていると、浜で結婚式をするので誰でも来ていいよ!とのこと。

ただの旅行者である私たちも、真っ暗な中を懐中電灯を借りて出かけた。

砂浜には、結婚式らしい飾りや、できあいの物は何もないが、南国らしい色とりどりの花がカゴにいっぱい集めてある。そして、それぞれが気持ちで持ち寄ったであろう、手のかかったことがわかるお祝いの食べ物と、お酒がたくさん並べてある。

暗くて誰が花嫁・花婿か分からないが、波の音を前奏に、すぐに誰かが三線を弾き始め、誰からともなく唄い出す。食べて飲んで、唄って…。唄えない私たちは手拍子をしながら波のように揺れていた。

ここはどこで、自分は誰なのか、泡盛のおかげで全てが夢のような時間だった。

宴がお開きになり、「持って帰って~」と言われたお酒の瓶は、地元の人でも手に入りにくい幻の『泡波』で、『祝』とシールが貼られていた。

 


 

翌朝もレンタサイクルで島を巡る。多くがサトウキビ畑。刈ったサトウキビを横積みにしたトラックが行き交う。暑いからか、歩いている人は皆無。地下通路があって、地元の人はそこを歩いているのではないか…と思うほど、人が居なかった。

家の周りには肩の高さほどの石垣。よく見ると、サンゴの大きな塊をそのまま積み上げてある。飼われているヤギがあちこちに歩いているが、オスは危ないので杭に繋がれているらしい。





 

 内地から砂糖きび畑に働きにきて、そのまま住みつく若者も多いと聞いた。島には、生活に必要な物を売っている売店(ユイマール)が1~2軒。他には、移住した若者が開いた、小さなお土産屋や、軽食店がいくつかあった。暇な旅行者としては、お店を見かけるたびに、中をのぞいてみる。

 耕介はお土産に興味が無いので、外に掛けてあるハンモックに寝そべったり、繋がれている雄ヤギを手懐けようと試みる。私はお店にCDが置いてあったりすると、耕介に声をかける。

 



 

 とあるセンスの良いお土産屋の壁に、「三線体験教室」の張り紙を見つけて、耕介に言うと「行く!」と即決。その日の晩御飯を民宿で済ませて、お土産屋の店主の家にお邪魔すると、外からは想像できない贅沢な生活空間が広がっていた。

 大きなテレビ画面とパソコン、こだわりがありそうな音響設備に、CDもたくさん並んでいる。美男美女の若夫婦の夫さんから、1時間ほど三線の手解きを受けたあと、少し世間話をしてみると、奥様は神戸の大きな雑貨メーカーのデザイナーだそう。道理で、お土産物のセンスが良いわけだ。ネット環境があれば、どこででも仕事はできるし、夫さんはたまに島の老人介護施設でアルバイトをすれば食べていけるとのこと。そういう生き方もあるのかと、私たちもフワフワした気持ちになった。

 肝心の三線は、「ホントにうまい!」と褒められて、石垣島の良心的な三線屋さんを教えてもらって、帰りに買う気満々だ。

 

 後はひたすら浜に行く。ある日は、海で泳いでみようと、宿で、足ヒレとシュノーケリング道具を借りた。宿できびきびと働くお姉さんが、道具を用意してくれながら、「あんまり沖に行かないようにね。何年か前に、帰ってこなかった人がいたから」と、さらりと言われた。西浜の沖は、西方浄土。

 

初めて足ヒレを付けた私は、遠浅の海を歩く不自由さに怒った。すると耕介が「貸してみー」と自分の足に付け替えて、スイスイ歩いて、こっちを向いて戯ける。どうして耕介は、初めてのことでも難なくできるのか、いつも不思議に思う。

 泳ぐのに疲れると、浜の木陰で休憩。私は貝とサンゴのかけらを拾う。綺麗な貝を見つけた!と思ったら、必ずヤドカリが先に入っていて、悔しかった。

耕介は私が集めたサンゴで、浜に文字を書いた。

 

 

 

  帰りの石垣島で、タクシーに乗って三線屋さんに行く。値段は忘れたが、三線と教則本と、島唄の本を買った。帰ってから耕介は熱心に練習をして、それっぽく弾けるところまではいったが、「唄が難しい!唄が歌えへんかったら無理や…」と諦めたようだった。

 

 

この旅行後、島で三線を教えてくれた方に送ったお礼の手紙がアルバムに残っていた。今ではすっかり忘れていたが、それによると…

「吉本ばななの波照間滞在記を読んで」波照間に行ってみて、

「全然印象が違って、でも、やっぱりおもしろかった」と書いている。